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札幌高等裁判所 昭和55年(行コ)5号 判決

控訴人

札幌労働基準監督署長

白井啓介

右指定代理人

片桐春一

外四名

被控訴人

田渕ユキ

右訴訟代理人

小門立

山中善夫

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因(被控訴人)

1  被控訴人の亡夫訴外田渕藤太郎(大正九年八月二一日生、以下「訴外人」という。)は、三菱大夕張炭礦を離職後、昭和四八年九月七日から札幌市中央区北一条東一六丁目所在の札樽自動車運輸株式会社(以下「訴外会社」という。)札幌支店に作業員として就労していたところ、昭和四九年八月一〇日午後五時一〇分頃、同社札幌支店発送ターミナルにおいて荷物の仕訳作業中身体の不調を訴え、直ちに萩病院に収容されたが、脳溢血の疑いがあり、さらに宮の森脳神経外科病院に移され、「高血圧性脳出血」の傷病名で加療中翌八月一一日午前八時二〇分、第二次性脳幹損傷による呼吸停止により死亡した。

2  被控訴人は、訴外人の妻で訴外人の死亡当時その収入によつて生計を維持していたものであり、訴外人の死亡は業務上の事由によるものであるとして、訴外人に対し労働者災害補償保険法(昭和四九年法律第一一五号による改正前のもの、以下「労災保険法」という。)第一二条の八第一項に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、控訴人は昭和四九年一〇月二八日訴外人の死亡は業務上のものではないとして右遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をなした。

3  しかしながら、訴外人の死亡は業務上のものであるから、本件処分は違法で取消されるべきものである。

二  請求原因に対する認否(控訴人)

請求原因1及び2は認めるが、同3は争う。

三  抗弁(控訴人)

訴外人は高血圧症の基礎疾病を有していたところ、以下にみるように、訴外人の業務が死亡直前において従前に比し特に質的、量的に過激であつたとは認められず、既往の高血圧症が自然発症的に増悪し、偶々業務遂行中に脳出血として発症したものであり、業務と脳出血との間に相当因果関係があつたとはいえず、訴外人の死亡は業務上の事由によるものとはいえないから、本件処分は適法である。

(訴外人の業務内容等について)

1 労働時間

所定の勤務時間は午前九時から午後六時(夏季は午前一〇時から午後七時)まで休憩時間一時間を除く八時間、所定の休日は毎日曜日であつたが、訴外人は、連日一時間ないし二時間の時間外労働を行ない、時に休日出勤をすることもあつた。

2 業務内容

訴外人の一日の業務は、始業時から午前一一時頃まで訴外会社札幌支店発送ターミナルにおいて伝票の整理及び積み残し荷物の点検を行なつた後、札幌市白石区中央三条四丁目一番一八号株式会社三洋トランスポート北海道(以下「三洋トランスポート」という。)(白石倉庫)に赴き、同所において午後二時まで三洋電機株式会社(以下「三洋電機」という。)の出先からの注文に応じ品物を揃え、伝票・荷札を作成、荷札付伝票の突合をし、午後三時頃集荷車の到着を待ち運転手・助手を手伝つて荷物を積込んだうえ右車に同乗して訴外会社札幌支店発送ターミナルに戻り、右荷物を運転手・助手が集荷車から降ろすと共に路線別の台車に積替作業をする際に責任者として作業を行なつていた。

訴外人の被災当日の業務状況については、午前一〇時出社後通常の作業を行なつたうえ、当日助手が休んだため、運転手が一人で積込作業を行ない、右作業終了後の午後四時に三洋トランスポートを出発して訴外会社札幌支店発送ターミナルに到着後の同四時二〇分から集荷物の取降し、仕訳作業に従事していたところ、午後五時一〇分頃、積荷の半分ないし三分の一程度を降ろした時点で突然倒れたものである。

3 同僚の作業内容との対比

三菱大夕張炭礦離職者で訴外人と同時に訴外会社に入社した一二、三名程度のうち、訴外人以外の者はすべて訴外会社札幌支店発送ターミナルで荷物の積降ろしの肉体的作業に終日従事していたが、訴外人は従前の事務職としての経歴を買われて三洋トランスポートに配属され、勤務時間の半分以上を事務的な仕事に従事しており、作業量も同僚の約五分の一程度で、軽作業であつた。

4 訴外人の発症当日の作業環境

訴外人が発症した当日の天候は良好で、午後三時における気温は27.1度、湿度六四パーセントであり、訴外会社札幌支店発送ターミナルにおける作業現場たる貨車内の温度は外気より六度ないし一〇度以上高かつたといえる。

5 訴外人の血圧測定値

訴外人の発症直前三か月における血圧は別表一の(一)欄の(5)、(7)、(8)記載のとおりである。

6 高血圧症と気温の影響

一般的に高温下では体表面の血管が拡張し血圧は下るから気温の上昇による高血圧症への影響は考えられない。

四  抗弁に対する認否(被控訴人)

1  抗弁冒頭の主張のうち、訴外人が高血圧症の基礎疾病を有していたことは認めるが、その余は争う。

2  抗弁1、2、4、5は認めるが、その余は争う。

五  被控訴人の反論

訴外人は、以下にみるように訴外会社札幌支店発送ターミナル及び三洋トランスポートにおける業務により高血圧症が増悪し、その結果脳出血を発症して死亡したものであるから、訴外人の死亡には業務起因性が認められる。

1  訴外人の病歴及び職歴について

訴外人は訴外会社へ就職前の職場である三菱大夕張炭礦においては充填夫という炭礦でも一、二を争う重労働に従事し、当時既に昭和四七年一一月二一日の健康診断時における血圧最低値が一一〇(別表一(一)、(2)参照)を示しており、同人が高血圧症であつたことは明らかであり、右炭礦での健康管理が充分であれば、降圧剤を服用させたり、過激な行動や疲労の蓄積等血圧の上昇を招く行為を避けるよう生活指導する等の適切な措置が期待しえたはずであるが、右事実の看過により訴外人は、昭和四八年九月に訴外会社に就職後死亡まで右炭礦時代に勝るとも劣らない激務に従事していた。

2  訴外人の業務内容

訴外人の三洋トランスポート及び訴外会社札幌支店発送ターミナルにおける荷物の積込、積降、積替作業は同人の責任者としての立場からみて精神的にも肉体的にも激務といえる重労働であり、特に夏場は取扱荷物が増大し、午後八時頃までに作業を完了させる必要があつたこともあり、業務は多忙を極めていた。発症当日は三洋トランスポートにおける積込作業の人員三名のうち一名が休務して訴外人の負担が加重されたうえ、訴外会社札幌支店発送ターミナルにおける作業も高温多湿の環境下にあつた。

3  高血圧症増悪の業務起因性について

血圧の最高値は心臓の血液を送り出す圧力に規制され、右圧力及び血液を送り出す頻度は重労働に従事する程度に応じて増大するところ、訴外人の高血圧症増悪の原因は昭和四九年七月以降医師から要休業(後に軽作業可と変更)の指示を受けていたにもかかわらず、従前通りの業務に従事し、精神的、肉体的な緊張・疲労度が増大・蓄積し、さらに発症当日の八月一〇日に労働密度が強化されたことによるものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(訴外人の死亡)・同2(本件処分の存在)の各事実については当事者間に争いがない。

二労災保険法一二条の八第二項による労災保険法上の保険給付を請求しうるためには、同項で援用される労働基準法七九条、八〇条の規定により「業務上死亡」したことが要件とされるが、ここに業務上死亡したとは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と業務との間に相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となつて死亡事故が発生した場合でなければならないので、以下、訴外人の死について、この点を判断する。

(一)  まず、訴外人の死因についてみるに、請求原因1の事実、訴外人が高血圧症の基礎疾病を有していたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、訴外人は、昭和四九年八月一〇日午後五時一〇分頃訴外会社札幌支店発送ターミナルで、荷物の仕訳作業中倒れ、荻病院に収容されたものの、脳溢血の疑いがあるとしてさらに宮の森脳神経外科病院に収容されたこと、収容時の血圧は最高血圧が二一〇最低血圧が一一〇もあり、完全な昏睡状態で、左脳実質内の出血塊と眼底所見により動脈硬化症が認められたが、外傷はなく、脳血管撮影上でも他の血管性の疾患は認められず、同日午後八時三〇分頃から午後一二時頃まで開頭手術により前記出血塊(約七〇グラム)を除去したものの、翌八月一一日午前八時二〇分高血圧性脳出血を原因とする脳浮腫に基づく第二次性脳幹損傷による呼吸停止により死亡したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、訴外人は基礎疾病である高血圧症が増悪した結果脳出血を発症し死亡したものと認められる。

(二)  当事者間に争いのない抗弁1、2、4、5の各事実及び〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

1  訴外人の職場歴と業務内容

訴外人は大正九年八月二一日生れで昭和二一年から三菱石炭礦業大夕張鉱業所で勤務(当初は坑外にあつて、厚生課で商品出入、伝票・帳簿整理業務に、昭和三八年春からは坑内に入り充填夫として鉄柱を組む等の業務に従事)していたところ、昭和四八年閉山となり、他の炭礦離職者とともに同年九月五日一般路線貨物・運送事業を行なう訴外会社札幌支店発送課の作業職として再就職し、同月七日から勤務した。

訴外人は、入社当初は専ら荷物の積卸し等の作業に従事していたが、昭和四八年一〇月ころ事務的職務を主体として行なうようになり、そうした状態となつて後の訴外人の一日の業務内容は始業時から午前一一時頃まで札幌市中央区北一条東一五丁目の訴外会社札幌支店発送ターミナルにおいて前日の伝票整理及び積み残し荷物の有無の点検を行ない、その後バスを利用して所要時間約三〇分を要する札幌市白石区中央三条四丁目の三洋トランスポートに赴き、前日発送した荷物の運賃額、重量等を記入して日計書を作成し、昼休み(午前一二時から午後一時まで)をとつた後、午後二時まで三洋電機の出先からの注文に応じ、当日発送の品物の伝票・荷札の作成・荷札付け、伝票の突合等の出荷準備をしたうえ午後三時頃訴外会社札幌支店から運転手と助手が乗つた集荷車(四ないし一〇トン車)が到着するのを待ち、運転手・助手を指導して三洋トランスポートの係員により予め集積されていた荷物を積み込んだうえ、右集荷車に同乗して、午後五時頃訴外会社札幌支店発送ターミナルに戻り、運転手・助手及び荷物受入仕訳係の作業員が荷物を取降し、各方面別に荷物を仕訳し、さらに荷物受入仕訳係の作業員がこれを方面別に正しく台車に積み込むよう作業を責任者として指導して、自らも右各作業を手伝うこともあつた。なお、重量物の取降し等に際しては、ハンドリフト等が利用され、その便に供されていた。その後、訴外人は発送課事務室において、当日発送の荷物の伝票の整理等をし、さらには、三洋トランスポート関係以外の車の荷物の取降しの作業に従事していた。そして、午後八時ころ勤務を終えていた(なお、午後六時から午後七時までの間の三〇分間に夜食を取つている。)。

なお、訴外人は一か月に一回位の割合で休日労働に従事していたが、その際は、荷物の取降し等は行なわず、積み残し荷物の点検等の簡易な作業に従事していた。

三洋トランスポートでの集荷量の推移は別表三記載(乙第一四号証参照)のとおりであつた。

2  訴外人の労働時間と勤務状況

訴外人の勤務時間は午前九時から午後六時まで休憩時間(一時間)を除く実働八時間、休日は毎日曜日とされていたが、出勤時間は居住する社宅からの送迎バスの関係で変動があり(昭和四九年四月二一日から同年七月一三日までは午前九時前、同年七月一四日から八月一〇日までは午前一〇時)、月一回の休日労働のほか、午後八時頃まで時間外労働をしたうえで退社するのが常であり、昭和四九年六月二一日から同年七月一五日までは公休日及び休欠勤日を除いて連日二時間の時間外労働をなし、この間六月二三日には午前九時から午後一三時三六分まで休日出勤、同年七月一六日から同年八月九日までは公休日及び休欠勤日を除いて連日一時間ないし一時間三〇分の時間外労働をなし、この間、七月二一日に午前九時から午後一三時一四分まで休日出勤していた。

なお、訴外人の訴外会社入社後の勤務状況は別表二記載のとおりである。

3  同僚の作業員との労務内容の対比

三菱大夕張炭礦の離職者で、訴外人と同時に訴外会社札幌支店に入社した一三名のうち、訴外人と村中秀雄以外の者は、すべて訴外会社札幌支店発送ターミナルで専ら荷物の積降し等の肉体的労務に終日従事していたが、訴外人は前職での事務職としての経歴等を買われて、訴外会社札幌支店へ入社し、その後間もなく、三洋トランスポートに出赴いて三洋電機関係の荷物の発送を受け持つようになつて、勤務時間の半分以上を事務的業務に費やすこととなつたのであり、そのため、訴外人の作業量は同僚の作業員に比して可成り少ないものであつた。

なお、訴外人の訴外会社札幌支店での労務は、前職の三菱大夕張炭礦での充填夫のそれに比しても、肉体的には相当程度負担の軽いものであつた。

4  訴外人の健康状態と訴外会社の健康管理

訴外人の健康診断結果は別表一記載のとおりであり、三菱大夕張炭礦勤務当時の昭和四七年一一月二一日の健康診断の際の最低血圧値が一一〇を記録していたものの、訴外人は格別病気で病院にかかることもなく、右血圧の異常に対しても特段の措置が講ぜられず、訴外会社の入社時の検査でも血圧測定値を含めて異常は発見されなかつた。

ところが、昭和四九年六月一日の定期健康診断(社団法人北海道労働保健管理協会に委託)において胸部エックス線検査により精密検査が必要とされ、六月二二日胸部エックス線検査(直接撮影)により腫瘍の疑いがあり、他病院で精密検査が必要で要注意との指示がなされ、右結果については直接訴外会社に同年七月三日付で通知がなされた。訴外人はその後市立札幌病院で二度検査を受け、別表一記載のとおり七月六日の当初の検査では要休業、八月三日の再検査では軽作業可の指示が担当医師からなされたが、訴外人は訴外会社に右結果を報告することなく従前と同一の平常業務を継続していた。

訴外会社は健康診断実施機関から訴外人の健康状態につき要注意との連絡を受けた後、訴外人の精密検査の担当医療機関を確認の上右検査の結果を問合せ等することはしなかつた。

5  訴外人の家庭での状況

訴外人は、訴外会社に入社後、家庭にあつては深酒等することなく、午後一〇時三〇分ころまでには必ず就寝し、午前六時に起床するという比較的規律正しい生活をしていた。訴外人は、訴外会社への転職の当初は仕事に慣れないなどのため、疲労を訴えることがあつたが、その後は概して元気であつた(もつとも、訴外人は高血圧症の疾患を有していたが、妻である被控訴人に対しても右事実を隠していた。そして、訴外人は、右治療のため降圧剤を服用等していなかつた。)。

訴外人は本件発症当日の朝も、普段同様元気であつて、格別の疲労等は見られなかつた。

6  発症当日の業務内容と気温

訴外人は午前九時三六分に出勤後、前日出荷された荷物の発送状況、伝票の整理・点検を行なつた後、午前一一時頃市営バスで三洋トランスポートに赴いた。同所で、出荷依頼のあつた荷物について伝票に重量・運賃を記入して出荷準備をして午後三時頃集荷車(一〇トン車)が到着し、伝票と荷物(個数一四三個、重量五、八二四キログラム)を点検し、運転手の粒良孝雄に積込みを指示(なお、当日は助手が休んでいたため、主として粒良孝雄が一人で積込み、訴外人は粒良孝雄の積込みの便宜のため、荷物をずらせる程度、補助的に手伝つたにすぎなかつた。)し、右集荷車に同乗して午後四時頃訴外会社札幌支店発送ターミナルに戻り、午後四時二〇分頃以後五時頃同車の荷物の取降作業を始め、当初は粒良孝雄、大山末吉、袴田民雄がこれに当る外、送り先方面別の仕訳作業を担当する訴外人も手伝つていたが、間もなく、粒良孝雄が所用で抜けた。そして、午後五時一〇分頃、全体の荷物の三分の一ないし二分の一程度取降した段階で、発送ターミナルのホーム上で、荷札の付いていない荷物が発見されたため、右大山末吉が訴外人に対し行先を記入するようチョークを手渡したのに、訴外人はこれを取り落すなど訴外人の挙動がおかしいことに同僚の右大山末吉が気づき、直ちに訴外人を病院に収容したが、翌一一日午前八時二〇分に死亡するに至つた。

当日の札幌の天候は良好で、午後三時には気温が27.1度、湿度が六四パーセントあり、集荷車内の温度は外気温に比べて数度は高かつた。

なお、昭和四九年八月一日から同月一〇日までの札幌市の気温の状況は別表四のとおりである。

以上のとおり認められ、〈反証排斥略〉、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、訴外人は、平常、訴外会社にあつて、昭和四八年九月の入社以来、本来の勤務時間(実働八時間)のほかに時間外労働に約二時間従事していたが、訴外会社での拘束時間が長い面はあるとしても、そのうちの約二分の一以上が主として事務的職務であり、午後四時以降の肉体的労務も、訴外会社への入社の当初はともかく、約一年近く経過した本件発症当時にあつては、その業務の遂行が複雑、困難というものではないし、またそれ自体過激というほどのものでもないので、これにより訴外人が精神的には勿論、肉体的に疲労を蓄積するというものではなかつた。もつとも、訴外人は右労務の大半を三洋電機関係の荷物の発送の責任者としての立場において従事していたのであるが、それとても、前職の三菱大夕張炭礦で事務職の経験を有する訴外人にとつては、さしてその職務の遂行に困難を伴うものではなく、訴外人が右責任者の立場にあつたが故に肉体的、精神的負担ないし緊張を増大し、これによる疲労を蓄積していたということもできない。かえつて、訴外人にとつては、三洋電機関係の荷物の発送に携わることによつて、終日肉体的労務に従事する同僚の作業員に比してその負担を軽減することとなつたものということができる。

なお、訴外人は、入社以来一か月に約一回の割合で休日労働に従事しているが、それとても、簡易な労務に約四、五時間程度従事するというにすぎないものであつて、これが訴外人にとつて格別、精神的、肉体的負担となるほどのものではない。また、訴外人は昭和四九年六月から同年八月にかけて肺腫瘍の疑いで精密検査を受け、最終的に気管支拡張症による肺感染症の疑いということで、医師から要経過観察、軽作業可との指示を受けているが、同人の家庭での状況、医師の診断もさして重大なものでなかつたことからみて訴外人が多小の不安等をいだいていたことは否定できないとしても、それはさして大きいものではないといえる。

こうした事実に鑑みるとき、訴外人は、昭和四八年九月訴外会社札幌支店に入社後、昭和四九年八月の本件発症当時に至るまでの間平常業務の継続等により著しく血圧を高進せしめる程に精神的、肉体的疲労等を蓄積、増大させていたものとは認められない。

また、本件発症当日の訴外人の労務がそれまで訴外人が日常的に繰り返し従事してきたものに比して、量的にも、質的にも過重であつたということは認められない。もつとも、当日、訴外人が三洋トランスポートに出向していたところ、午後三時頃集荷車が到着したが、通常は運転手と助手が集荷にくるのに、当日は助手が休務したため、運転手の粒良孝雄が一人で荷物の積込みに従事することになつたので、訴外人においても前記認定のとおり右粒良孝雄に多少の助力をしたものであるが、その助力の程度もさしたるものでないのであつて、このこと故に、普段と異なり、当日、訴外人が過大な負担を負い、そのために、精神的、肉体的緊張等を特に増大させたということはできない。また、訴外人は、三洋トランスポートから午後四時頃訴外会社札幌支店発送ターミナルに戻つた後、荷物の取降しと送り先方面別の仕訳作業に従事して約一時間足らずの午後五時一〇分頃、本件発症に至つたものであつて、この労務も訴外人がこれまで平常業務として繰り返し従事してきたものであつて、当日のみに、格別特異なものではない。もつとも、当日は、札幌市の午後三時現在の気温が27.1度(なお、湿度は六四パーセントである。)で、特に集荷車の中は外気温に比して数度高いという状態であつたため、訴外人が右気温のため、当日の労務により多少の疲労を覚えたであろうことは否定できないとしても、当日以外に、昭和四九年八月上旬にあつて、より高温の日も相当あつたのであるから、右暑さ(なお、湿度六四パーセントは湿気としてさして高いものでないことは経験則上明らかである。)の故に、訴外人に極度の精神的、肉体的緊張等があつたということもできない。

要するに、本件発症当時、訴外人に疲労の蓄積があつた形跡はなく、また、本件発症当日の業務が日常のそれに比し、質的、量的に著しく過重であつたということもできない。

(三)  更に、前掲乙第五一号証の一、二、前掲後藤壮一郎の証言、鑑定人小暮久也の鑑定の結果、鑑定証人小暮久也の証言によると、本態性高血圧症を基礎疾患として有する者は、平常時と異なる著しい精神的な緊張興奮等が誘因となつて脳出血を起こすことがあるが、反面、かかる誘因がないのに、平常時においても脳出血を起こすことがままあること、その誘因に関し、急激な温度の変化は別としても、高温は脳出血を起こす要因ではないこと、急激な労働は別としても、通常の労働、とくに日常的に行なつている労働によつて血圧が著しく上昇することはないこと、訴外人は本態性高血圧症の疾患を有するところ、網膜、心臓等全身にわたつて動脈硬化がみられるなど長期間、高血圧症が持続し、増悪していたことが各認められ、加えて、前記(二)認定のとおり、訴外人はかねてより高血圧症の疾患を有していたにもかかわらず、長年にわたつてその治療を受けないままこれを放置していたのであり、これが訴外人の症状を一段と悪化させた可能性があるところ、これらの事実と、前記(二)認定の事実を併せ考えれば、訴外人の本件発症は、訴外人の長年にわたる高血圧症の病的素地の自然的推移の過程において、偶々、業務遂行中発生したものであつて、同人の業務に起因するものではないと認めるのが相当である(なお、訴外会社が訴外人の精密検査の結果を関係医療機関に対し調査、確認しなかつたことは訴外会社の訴外人に対する健康管理が徹底していないとのそしりを免れないでもないが、そもそも訴外人がその検査結果を意図的に訴外会社に告知しなかつたという事情があるので、その健康管理の不徹底もさして著しいものではないので、この点を本件発症の業務起因性を基礎づける要素とすることはできない。)。

もつとも、医師川島亮平、同峯廻攻守、同上畑鉄之丞は、原、当審における証人としての各証言において、あるいは成立に争いのない甲第一三号証の記載において、訴外人は、日常重労働に従事して疲労を蓄積させていたところ、加えて、本件発症当日、高温(多湿)の環境下において過激な業務に従事したことから、これを誘因として訴外人の血圧を著しく上昇した結果本件発症に至つたものであるから、訴外人の脳出血による死亡と業務との間に相当因果関係があると述べる(もつとも、右三名の医師の述べるところにも、労働強度と脳出血、高温と脳出血の各関連性の程度等について、可成りのニュアンスの差異がある。)が、既に認定した、訴外人が従事した日常及び本件発症当日の業務内容など(その作業の質、量など)の諸事実と弁論の全趣旨により真正に成立したことが認められる乙第五二号証、前掲証人後藤壮一郎の証言、前掲鑑定人小暮久也の鑑定の結果、前掲鑑定証人小暮久也の証言に照らすと、右意見には、にわかに賛成し難い。

そうであるならば、訴外人の脳出血による死亡を業務上の事由によるものと認められないとして、労災保険法一二条の八第一項に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとした控訴人の本件処分は適切なものということができる。

三したがつて、被控訴人の本訴請求は理由がないので、原判決が右請求を認容したのは失当であるから、これを取消すとともに、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(奈良次郎 藤井一男 中路義彦)

別表一、二、三、四〈省略〉

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